約1200年前、比叡山開祖伝教大師最澄が比叡山延暦寺に仏教とともに、中国からゆばとお茶を伝えたといわれています。 坂本の町にもう一つ残るのがゆばを歌った里歌。 「山の坊さん 何喰て暮らす ゆばのつけ焼き 定心房」 ゆばのつけ焼きとはゆばの蒲焼、定心房はお漬物のこと。
お漬物もまた、比叡山で初めて発明されたといわれています。 日本の心と味のふるさと、比叡山延暦寺…
その昔、ゆばは皇族・貴族など高貴な方々の食べ物でした。あるとき、京都御所が大火になり、孝明天皇が聖護院に避難されていた時のこと。 八木富栄の先祖がゆばを作り、天皇にお召し上がりいただいたと伝え聞いております。 宮中では、ゆばを“湯藻(ゆも)”と呼んだそうですが、孝明天皇はゆばが大層お好きで、出来たてのゆばを一枚一枚お召し上がり、ゆっくり二時間もかけてお食事を楽しまれたそうです。
八木富栄は、昭和天皇が大津行幸の際に比叡ゆばを二度献上し、そのご縁につきましても皇室アルバムに記載されております。
|