「比叡ゆば」誕生物語
比叡ゆばの歴史
比叡ゆばの名前は、日本に最初のゆばが比叡山に伝わったことに由来します。
約1200年前、比叡山開祖伝教大師最澄が比叡山延暦寺に仏教とともに、
中国からゆばとお茶を伝えたといわれています。
その時、持ち帰ったといわれるお茶の木は、今も比叡山坂本に残されています。
坂本の町にもう一つ残るのがゆばを歌った里歌。
「山の坊さん 何喰て暮らす ゆばのつけ焼き 定心房」
ゆばのつけ焼きとはゆばの蒲焼、定心房はお漬物のこと。
ゆばのつけ焼きは、肉食を禁じ、厳しい修行に励む僧侶の貴重な滋養食、蛋白源でした。比叡山には千日回峰行という、特に厳しい修行があります。
それは千日間比叡の山々を念仏を唱えながら走破するというもの。その間には厳しい断食も。
お肉代わりのゆばのつけ焼きは、きっと当時の僧侶のご馳走だったに違いありません。
お漬物もまた、比叡山で初めて発明されたといわれています。
ゆばにお茶に、漬物・・・日本の食文化に欠かせない食品が日本仏教の母山、比叡山から日本全国に仏教とともに広まりました。
日本の心と味のふるさと、比叡山延暦寺…
今でも比叡山延暦寺会館の精進料理では、比叡ゆばをお召し上がりいただいております。
比叡ゆばのあゆみ
また弊社創業者の八木富栄にはゆばと深いご縁がございました。
その昔、ゆばは皇族・貴族など高貴な方々の食べ物でした。
あるとき、京都御所が大火になり、孝明天皇が聖護院に避難されていた時のこと。
八木富栄の先祖がゆばを作り、天皇にお召し上がりいただいたと伝え聞いております。
宮中では、ゆばを“湯藻(ゆも)”と呼んだそうですが、
孝明天皇はゆばが大層お好きで、出来たてのゆばを一枚一枚
お召し上がり、ゆっくり二時間もかけてお食事を楽しまれたそうです。
その時の小皿は、弊社の家宝として今も大切に保管しております。
八木富栄は、昭和天皇が大津行幸の際に比叡ゆばを二度献上し、
そのご縁につきましても皇室アルバムに記載されております。
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